Category: コラム
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ナッシングって素晴らしい!
今日は朝から『ふたつ』について思いを巡らせていました。
先日見た映画の中にこんなセリフがありました。「この世には2種類のタイプの人間がいて、1つは、自分で自分の人生を決められる人。もう1つは自分で自分の人生を決められない人(決められた運命を生きるという意味)」
『ふたつ』とは少ない選択肢のように思えるけれど、思考をぐるぐると巡らせてみると、この『ふたつ』で大方の説明がつくんだと気付きました。
好き&嫌い。明るい&暗い。表&裏。悪&善。守る&攻める。逃げる&とどまる。嘘つき&正直。持つ&持たない。物質的&精神的。小さい町を見る人&大きな世界を見る人等…。
人間は自分の持つもの、守らなければならないものが増えるにつれて身動きがとれなくなります。それに失う怖さを感じはじめるわけですね。自分もかつてほどの枠を飛び出す爆発力は持ち合わせなくなりましたが、かといって守りに入ったという状況ではありません。
自分の最大の守り要素は、ローンを組んだ自宅です。これがなければ既に会社は辞めていますね(笑)。でも、これ自体も実は、単なる言い訳にしているだけだと、どこかでわかっています。だからまだまだ眠れる活火山なんです。
何もない。社会的な地位も名誉も金もない、もちろん、家族も子供もいないわけですから、今現在、失うものは何もないわけです。だけど、ああ、犬と家があった…と言っても、犬は親に譲り、家は姉夫婦に対応しもらえればいいから大丈夫。だから、やっぱり気持ちは限りなくゼロに近いわけです。
昨日見たさんまの番組で、中国人の男性は持ち家がないと結婚はできないそうで、なおかつローンで自宅を購入することはあまり考えられないそう。もちろんこれはある程度の階級以上の話でしょうけど、なんか日本人の感覚とはかなり異なっているのでビックリ。いくら好きでも親の反対する人とは絶対に一緒にならないそうです。はあ。なら、ゲイはどうなっちゃうの?
守るもの、つながるものが多くなればなるだけ、人は見えるものの一時的な安らぎを感じるかもしれません。安心と思える守りやつながりも、実は本当の意味での自由を束縛するやっかいなチェーンに過ぎないかもしれませんね。
ないって素晴らしい。そう思える境地にようやく訪れたのでしょうか?いやいや、そこへは、そんなに簡単な道のりではたどりつけませんよね。失敬、失敬。
先日見た映画の中にこんなセリフがありました。「この世には2種類のタイプの人間がいて、1つは、自分で自分の人生を決められる人。もう1つは自分で自分の人生を決められない人(決められた運命を生きるという意味)」
『ふたつ』とは少ない選択肢のように思えるけれど、思考をぐるぐると巡らせてみると、この『ふたつ』で大方の説明がつくんだと気付きました。
好き&嫌い。明るい&暗い。表&裏。悪&善。守る&攻める。逃げる&とどまる。嘘つき&正直。持つ&持たない。物質的&精神的。小さい町を見る人&大きな世界を見る人等…。
人間は自分の持つもの、守らなければならないものが増えるにつれて身動きがとれなくなります。それに失う怖さを感じはじめるわけですね。自分もかつてほどの枠を飛び出す爆発力は持ち合わせなくなりましたが、かといって守りに入ったという状況ではありません。
自分の最大の守り要素は、ローンを組んだ自宅です。これがなければ既に会社は辞めていますね(笑)。でも、これ自体も実は、単なる言い訳にしているだけだと、どこかでわかっています。だからまだまだ眠れる活火山なんです。
何もない。社会的な地位も名誉も金もない、もちろん、家族も子供もいないわけですから、今現在、失うものは何もないわけです。だけど、ああ、犬と家があった…と言っても、犬は親に譲り、家は姉夫婦に対応しもらえればいいから大丈夫。だから、やっぱり気持ちは限りなくゼロに近いわけです。
昨日見たさんまの番組で、中国人の男性は持ち家がないと結婚はできないそうで、なおかつローンで自宅を購入することはあまり考えられないそう。もちろんこれはある程度の階級以上の話でしょうけど、なんか日本人の感覚とはかなり異なっているのでビックリ。いくら好きでも親の反対する人とは絶対に一緒にならないそうです。はあ。なら、ゲイはどうなっちゃうの?
守るもの、つながるものが多くなればなるだけ、人は見えるものの一時的な安らぎを感じるかもしれません。安心と思える守りやつながりも、実は本当の意味での自由を束縛するやっかいなチェーンに過ぎないかもしれませんね。
ないって素晴らしい。そう思える境地にようやく訪れたのでしょうか?いやいや、そこへは、そんなに簡単な道のりではたどりつけませんよね。失敬、失敬。