Category: コラム
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寂聴さーん、100まで生きよ!
昨日、ネットに上がっていた、91歳の瀬戸内寂聴さんの ニュース。
昨年は半年も寝たきりの生活をしていたそうで…。圧迫骨折やら胆のう癌が見つかって入院、手術をしたらしい。そのせいで、体調が悪くて悪くて死にたいほどだったとか。それに、執筆意欲もなくなり散々な思いをしたとのこと。
まあね、91歳の高齢だから、体にガタがくるのは仕方のないこと。この歳まで大病もせずに生きられたことの方が奇跡なわけで…。
それより驚いたのが、91歳で手術の選択をして受けたことでした。91になってもまだ生きたいんだーと、驚き。それも、仏道を学び説いている人なのに、生きる欲を捨てきれない…。
うーん、個人的には、なんとも考えさせられるニュースでした。もちろん、彼女なりに、まだまだやり残したことがあるなんて思いや、命続く限り、人々に奉仕をしたいという慈悲の表れでもあるんだろうけど、あれ、お釈迦様の教えとはそんなものだったかしら?なんて訝ってみたり…。
生に執着しないという、悟りの域に達するには、寂聴先生ですらできない。そう、並大抵では成り得ない大仕事なんですね。改めてブッダの偉大さを噛み締めさせられました。
昨年は半年も寝たきりの生活をしていたそうで…。圧迫骨折やら胆のう癌が見つかって入院、手術をしたらしい。そのせいで、体調が悪くて悪くて死にたいほどだったとか。それに、執筆意欲もなくなり散々な思いをしたとのこと。
まあね、91歳の高齢だから、体にガタがくるのは仕方のないこと。この歳まで大病もせずに生きられたことの方が奇跡なわけで…。
それより驚いたのが、91歳で手術の選択をして受けたことでした。91になってもまだ生きたいんだーと、驚き。それも、仏道を学び説いている人なのに、生きる欲を捨てきれない…。
うーん、個人的には、なんとも考えさせられるニュースでした。もちろん、彼女なりに、まだまだやり残したことがあるなんて思いや、命続く限り、人々に奉仕をしたいという慈悲の表れでもあるんだろうけど、あれ、お釈迦様の教えとはそんなものだったかしら?なんて訝ってみたり…。
生に執着しないという、悟りの域に達するには、寂聴先生ですらできない。そう、並大抵では成り得ない大仕事なんですね。改めてブッダの偉大さを噛み締めさせられました。