Category: コラム
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THE HISTORY OF BADI ー後編ー
昨年ブログに掲載した、2009年に向けて行ったバディ大リニューアルの際に自分が書いた『THE HISTORY OF BADI』の前編に続き、今回は残りの後編(2008年12月号)をお届けします。 新年から初心を思い出す勢いで…。とりあえず、ふりだけでも…(笑)。いやいや、気を引き締めて2013年を過ごしたいと思います!
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『エロネタと全国ゲイイベントの日々』
前号では『バディ』の創刊時の状況や、当時からのこだわりについて簡単にお話させてもらいました。今回は、私がテラ出版に入社してから現在にいたるまでの流れをざっくりとお話したいと思います。
私がテラ出版に入社したのが今から11年前の1997年10月。5年ほど務めていた旅行会社を辞め、自分の未来を模索していた時期のことでした。20代前半は様々な職種にトライしていたのですが、30歳を目前に本当にしたいこと、意味のある仕事をしようと考え『バディ』に関わることになったのです。
当時のテラ出版は主要メンバーが抜け、この先どうやって『バディ』を作っていこうかという第何次かのクライシスに陥っていました。新人スタッフが5名入り、元スタッフの出戻りもあり、役職の移行も行い、新しいメンバーを中心に、新しい『バディ』作りに奮闘していたのです。それは、良い意味では今風で新鮮ではあるけれど、悪い意味では荒削りであり深みがなく、それまでの『バディ』とは必然的に異なるものだったのです。2007年1月号で行った特集『さよならゲイ雑誌』の流れを汲むならば、これは、まさに大衆的志向に傾いた始まりといえるのでしょう。
当時は、とにかくエロ雑誌なのだから、エロくしなければいけない。エロが充実していなければ、読者は『バディ』を買ってくれなくなる。という見識の元で動いていたように思います。そこで、よりエロくするためにノンケのエロ表現を大きく導入することにもなったわけです。同時に、情報ページは、今までよりもより日本のゲイコミュニティに寄ったもの、読者の日常に近いものを提供するようになりました。
今年、たくさんの出版物をリリースしたテラ出版ですが、それまでは『バディ』以外の出版物はビアン雑誌『アニース』、ゲイカルチャー誌『ファビュラス』など数えるぐらいしかりません。本を出さないかわりに、テラ出版が取り組んだことをは、前号でも触れましたが、ゲイイベントへの参加だったのです。全国のゲイイベントが最大に盛り上がっていた2000年前後には、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡、沖縄など全国の主要都市で『ウォーキンバディ』や『合コンバディ』などを精力的に行い、自分の記憶を辿ると、ピーク時は2ヶ月に1回、『バディ』の校了とともに地方巡りをするというかなりハードな日々を送っていたように思います。
個性的なスタッフも出そろい、『バディ』10周年を迎える頃までには安定期を迎えますが、それも次章への始まり。『バディ』とともに成長し続けてきたスタッフも、新たな枠組みを求めて歩き出すわけです。そんな時期に、長年編集長という役柄が存在しなかったテラ出版に、乱れた足並の調整役として任されたのが自分自身でした。ここからの格闘は誌面の都合上、多くは語れませんが、毎日が勉強と反省の日々だったように思います。『バディ』の編集長になってからの3年、より良い『バディ』作りを目指すも、目の前には多くの壁が立ちはだかって思うように動けません。その壁を少しでも崩し、山の向こうの陽射しを誰もが浴びられるように、これからも努力していきたいと思っています。皆様、どうぞ温かい支援をおい願いいたします。前頁のアンケートにご協力ください。
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『エロネタと全国ゲイイベントの日々』
前号では『バディ』の創刊時の状況や、当時からのこだわりについて簡単にお話させてもらいました。今回は、私がテラ出版に入社してから現在にいたるまでの流れをざっくりとお話したいと思います。
私がテラ出版に入社したのが今から11年前の1997年10月。5年ほど務めていた旅行会社を辞め、自分の未来を模索していた時期のことでした。20代前半は様々な職種にトライしていたのですが、30歳を目前に本当にしたいこと、意味のある仕事をしようと考え『バディ』に関わることになったのです。
当時のテラ出版は主要メンバーが抜け、この先どうやって『バディ』を作っていこうかという第何次かのクライシスに陥っていました。新人スタッフが5名入り、元スタッフの出戻りもあり、役職の移行も行い、新しいメンバーを中心に、新しい『バディ』作りに奮闘していたのです。それは、良い意味では今風で新鮮ではあるけれど、悪い意味では荒削りであり深みがなく、それまでの『バディ』とは必然的に異なるものだったのです。2007年1月号で行った特集『さよならゲイ雑誌』の流れを汲むならば、これは、まさに大衆的志向に傾いた始まりといえるのでしょう。
当時は、とにかくエロ雑誌なのだから、エロくしなければいけない。エロが充実していなければ、読者は『バディ』を買ってくれなくなる。という見識の元で動いていたように思います。そこで、よりエロくするためにノンケのエロ表現を大きく導入することにもなったわけです。同時に、情報ページは、今までよりもより日本のゲイコミュニティに寄ったもの、読者の日常に近いものを提供するようになりました。
今年、たくさんの出版物をリリースしたテラ出版ですが、それまでは『バディ』以外の出版物はビアン雑誌『アニース』、ゲイカルチャー誌『ファビュラス』など数えるぐらいしかりません。本を出さないかわりに、テラ出版が取り組んだことをは、前号でも触れましたが、ゲイイベントへの参加だったのです。全国のゲイイベントが最大に盛り上がっていた2000年前後には、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡、沖縄など全国の主要都市で『ウォーキンバディ』や『合コンバディ』などを精力的に行い、自分の記憶を辿ると、ピーク時は2ヶ月に1回、『バディ』の校了とともに地方巡りをするというかなりハードな日々を送っていたように思います。
個性的なスタッフも出そろい、『バディ』10周年を迎える頃までには安定期を迎えますが、それも次章への始まり。『バディ』とともに成長し続けてきたスタッフも、新たな枠組みを求めて歩き出すわけです。そんな時期に、長年編集長という役柄が存在しなかったテラ出版に、乱れた足並の調整役として任されたのが自分自身でした。ここからの格闘は誌面の都合上、多くは語れませんが、毎日が勉強と反省の日々だったように思います。『バディ』の編集長になってからの3年、より良い『バディ』作りを目指すも、目の前には多くの壁が立ちはだかって思うように動けません。その壁を少しでも崩し、山の向こうの陽射しを誰もが浴びられるように、これからも努力していきたいと思っています。皆様、どうぞ温かい支援をおい願いいたします。前頁のアンケートにご協力ください。