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こんにちは。元気ですか?調子はどう?欲張ったり!怒ったり、悲しんだりしてませんか? さあ、少欲知足でいきましょうw。

Category: コラム   Tags: ---

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遠くて近い日々

なんとなくおもたいときは楽しい記憶を思い出してみる。

以前にも何かに書いたけど、僕が最も楽しかった記憶は小学生の頃の家族団欒のお茶飲み時間。学校から帰ってきて、再放送の水戸黄門とか999とか学園ドラマとかサスペンス劇場やワイド劇場なんかを見ながら、お茶やお菓子をみんなで飲み食いする。本当に家族の存在を感じる大切な時間でしたね。

そのせいか、いつかは片平なぎさや中井貴恵(当時の2時間ドラマの看板女優)と本当に共演したいと思っていました(笑)。

その反面、父親の存在は恐ろしく低い。自分が10代の頃は、酒乱で暴力的で、まともに話のできない父親を疎ましく思っていました。彼はものをよく壊し、星飛馬の親父のように食卓をひっくり返し、何か逆らうと押し入れに入れさせられたり、外に締め出されたり、定規なんかでひっぱたかれたりしていました。今でいうなら虐待になっていたかもしれません。でも20代で家を出て、10年間一人暮らしをしたので、父親との距離はかなり遠くなってしまいます。

悪い父親=酒、だから酒はよくないもの、同じくイメージの連鎖でタバコも悪の根源という感覚が自然と身についてしまったんだと思います。

ちなみにうちの弟は自分よりは酒を飲むけど、大酒飲みではありません。そして、もちろんタバコは吸いません。姉もしかりです。やはりこの経験が関係しているのではと思います。ちなみに弟はありえないぐらいのマイホームパパです。甥や姪はみなパパが大好き。これも一種のトラウマがなせる技でしょうか?

当時、自宅に帰ってきて、会社の愚痴ばかりこぼす父親に本当に頭にきていました。当時は母親が可哀想という気持ちが強かったと思います。うちの母親も故意か否か、時折、ここぞというときに辛いと愚痴るわけですね。そうなれば全面的に母親支持に回ってしまうわけです。

もちろん大人になってからは、小市民の父親の弱さや辛さもわかるようになったけど、今なお無条件の愛情はわきません。こんな環境がゲイ気質を育んだかはわかりませんが、愛すべき父親がいないぶん、その裏腹で、きちんとした父親像を外に求めていたともいえるかもしれませんね。

何度か夫婦間の危機はあったものの、こんな甲斐性のない男を40数年も見守ってきたと思うと母親の偉大さが身にしみてわかってきます。だから正直なところ、母親には頭が上がりません。力強く生きなければならなかった母親は、父親でもあったわけですね。

今や、そうした乱暴な生き様の結果として糖尿病とその合併症を患い、週3回は体全部の血を入れ替えなければいけない透析を受ける日々です。

楽しい話をするはずが、厳しい話になってしまいました(笑)。

人生は、やっぱり、楽ありゃ苦もあるさ、ですよ。

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プロフィール

健太郎

Author:健太郎
劇団、旅行会社を経て、1997年10月、テラ出版入社。以後、バディ一色で18年目に突入。いつの間にかバディ最古参の居候エコエコ~なアザラク社員になってしまいました(笑)。フレーフレーテラ出版んっ!

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