Category: コラム
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心の中のチョメチョメ
今日は7月号の反省会でした。これを終えないと次号作りには進めない。箱根の関所のようですね。
今日はじじいについて考えてみました。
関所にじじいはなんだか合いますよね。実際にどれだけじじいがいたか…。無理やり話を合わせてみました(笑)。難所はいつでも、どこでも、ハラハラドキドキです。
自分の年をそのまま受け入れると、片足をじじいエリアに突っ込んだじいさん予備軍なのですが、どうにも自分にはそう思えない。かと言って、青年や子供ではもちろんない。じゃあなんなのさぁ~!と思うんだけど、よくわかりません。
白髪の生えたシワシワの子供なんて、ブラピのベンジャミンじゃあるまいし、映画の中だけの話で十分ですよね。
じじいとは聞き捨てならないけど、大人とか、シーニョアとか、マチュアとか、いわれると納得するかもしれません。
若くいたいなら、どれだけ自分の中にバカさを保てるか?が大事だとみうらじゅんが語ってましたっけ。若さとはバカさということらしい。
ある部分のバカさを維持できるけど、それをいつどもどこででも爆発させることはもうできません。そんな自分はもう、今の年では存在しません。
なので僕はもう子供ではありません。正確にいうなら子供のバカらしさを一部備えた、いい頃合いの大人なんでしょう。なんだかずるい話のように聞こえるかもしれませんが…。
小説のようですが、確か『もう悪ふざけはできない』ときちんと悟った時期がありました。それと同じ種類の気付き『人はみな自分が感じた通りには感じたり考えたりはしない』(中学のとき)と気付き、『人はみな自分が大切、自分だけがお宝』(高校の頃)と知らされ、また『人のためだけに生きる人々も確実にいる』ことを映画や本を通して知りました。
僕の見た目はじじいかもしれません。しかし、中身は単純な大人でも子供でもないようなんです。
今日はじじいについて考えてみました。
関所にじじいはなんだか合いますよね。実際にどれだけじじいがいたか…。無理やり話を合わせてみました(笑)。難所はいつでも、どこでも、ハラハラドキドキです。
自分の年をそのまま受け入れると、片足をじじいエリアに突っ込んだじいさん予備軍なのですが、どうにも自分にはそう思えない。かと言って、青年や子供ではもちろんない。じゃあなんなのさぁ~!と思うんだけど、よくわかりません。
白髪の生えたシワシワの子供なんて、ブラピのベンジャミンじゃあるまいし、映画の中だけの話で十分ですよね。
じじいとは聞き捨てならないけど、大人とか、シーニョアとか、マチュアとか、いわれると納得するかもしれません。
若くいたいなら、どれだけ自分の中にバカさを保てるか?が大事だとみうらじゅんが語ってましたっけ。若さとはバカさということらしい。
ある部分のバカさを維持できるけど、それをいつどもどこででも爆発させることはもうできません。そんな自分はもう、今の年では存在しません。
なので僕はもう子供ではありません。正確にいうなら子供のバカらしさを一部備えた、いい頃合いの大人なんでしょう。なんだかずるい話のように聞こえるかもしれませんが…。
小説のようですが、確か『もう悪ふざけはできない』ときちんと悟った時期がありました。それと同じ種類の気付き『人はみな自分が感じた通りには感じたり考えたりはしない』(中学のとき)と気付き、『人はみな自分が大切、自分だけがお宝』(高校の頃)と知らされ、また『人のためだけに生きる人々も確実にいる』ことを映画や本を通して知りました。
僕の見た目はじじいかもしれません。しかし、中身は単純な大人でも子供でもないようなんです。