Category: コラム
Tags: ---
トレーニング・ライフとは?
今日は、休み前の金曜日ですが、あいにくの天気なので二丁目も人がまばらです。でも帰りの電車は新宿からコミコミです。
今日は、気分転換に、トレーニングについて語りたいと思います。以前にもmixiかなんかで書いたのですが、自分の実体験をもとに書き綴りますね。
トレーニングとは、もちろんジムで体を鍛えることです。現在はメタボでダメダメな自分ですが、20代は、これでも一端のジムマニアでピーク時は毎日のように通っていました。トレーニングを始めたのが22ぐらいで、その3年後ぐらいに本格的にスタートし、27、8の頃にピークを迎えていました。
体ができていくのが面白いし、そうすることで、悲しいかな、モテ度はかなり上がりました。もちろん体調もいいし、トレーニング後の爽快感は何にも変えられません。体を酷使することで妙なアドレナリンも放出していたことでしよ(笑)。もちろん社交場としてのジムも楽しみました。
でも、トレーニングを楽しむ一方、かなり依存的になっていて、風邪をひいていてもトレーニングしないと、ちょっとでも体を止めると筋肉が落ちてしまう~、脂肪がついちゃう~なんて、正直、かなりの脅迫観念にとりつかれていました(笑)。
そんな絶好調の中、こんな生活いつまで続くんだろう?まさか、40、50までこんな風には続けてないだろうな?一体、どんな風なシナリオで異常なジム通いをやめるのかなぁ~とワンダーしたものです。
そのきっかけの1つは、そう、バディに関わったことによるところが大きいです。編集というかなり不規則な職種を選び、以前のような規則正しい生活が全く不可能になりました。当時は、今以上に半端じゃない仕事量だったし、処理能力もまだまだだったので、2、3日徹夜するなんてのは当たり前。徹夜明けにジムで体を洗ってそのまま再出社なんてしょっちゅうでした。夜は定時に帰れないし、ジムは11時まで…となると仕方なく朝、通いに切り替え、30代半ばぐらいまではなんとか仕事とトレーニングを両立させていたんですが、いよいよバディを取りまとめなければいけないという状況になり、人生の最重要項目を仕事に完全に切り替えたんです。
それまでは恋愛とトレーニングが一番二番で、仕事はその後。しかし立場上、希望通りにはいかなくなってしまいました。まあ、仕方ないことです。
いや両立できるでしょうと脇から聞こえてきそうですが、当時、同時に意識の持ち方、集中の仕方により仕事の質が大きく変わることもわかりだしてきた時期でもあったんですね。今、振り返っも、全身全霊で集中しなければ越えられなかった壁は確実にありました。
そうした状況や流れを自分なりに消化し納得していったわけです。
だから、トレーニングを止めたのはごく自然と、生きる環境下で行き着いた結果だったんです。
昔は、かなり枠にはまった生き方をしていたので、イレギュラーなことが苦手だし、好きではありませんでした。今では考えられないことですが…、こう考えると、たかが10年でも、全然違った生き方をしてるんですね。
経験が少ない頃は、自分が変わっていくことが容易に想像できませんでした。前述通り、仕事は土日が休みじゃないと絶対にダメ。健康とよりよい精神維持のため、肉は一切食べないと18~20歳までの2年間は菜食主義を徹底(実践しました/笑)。幼少の頃はかなりの潔癖症のようで、遠足や運動会などの野外での食事はできず(ばい菌が気になって)、寝る前には必ず家族全員の幸せを一人一人神様にお祈りをしなければ寝れなかったという妙な性格でした。
でも、今は全てのこだわりや歪な狭さが嘘のようにはがされています。妙な期待や異常なやっかみも消えて毎日を過ごしています。つきつめれば、全てどうでもいいんです。
人はそう簡単には変われない…とはよく言われますが、そんなことはないと片方の自分は言っているようです。僕もそう思いますが、もう片方の自分はやっぱり根元は簡単に変われないんだよともつぶやいています。それも確かに本当だと思います。
変わるとはその場に止まらないということ。過ぎ去った過去の栄光にすがることもなく、目の前の悲しみに囚われもしない。そして同時に、自分の枠を広げ許容量を増やすということ。塩水をミネラル水で薄める作業なんです。塩は決してなくなりませんが、薄くなることで沢山が生き長らえ、多くを受け入れることができるようになるということなんですね。
ああ、最寄り駅に着いてしまいました。続きはまた…いつか書きます。
今日は、気分転換に、トレーニングについて語りたいと思います。以前にもmixiかなんかで書いたのですが、自分の実体験をもとに書き綴りますね。
トレーニングとは、もちろんジムで体を鍛えることです。現在はメタボでダメダメな自分ですが、20代は、これでも一端のジムマニアでピーク時は毎日のように通っていました。トレーニングを始めたのが22ぐらいで、その3年後ぐらいに本格的にスタートし、27、8の頃にピークを迎えていました。
体ができていくのが面白いし、そうすることで、悲しいかな、モテ度はかなり上がりました。もちろん体調もいいし、トレーニング後の爽快感は何にも変えられません。体を酷使することで妙なアドレナリンも放出していたことでしよ(笑)。もちろん社交場としてのジムも楽しみました。
でも、トレーニングを楽しむ一方、かなり依存的になっていて、風邪をひいていてもトレーニングしないと、ちょっとでも体を止めると筋肉が落ちてしまう~、脂肪がついちゃう~なんて、正直、かなりの脅迫観念にとりつかれていました(笑)。
そんな絶好調の中、こんな生活いつまで続くんだろう?まさか、40、50までこんな風には続けてないだろうな?一体、どんな風なシナリオで異常なジム通いをやめるのかなぁ~とワンダーしたものです。
そのきっかけの1つは、そう、バディに関わったことによるところが大きいです。編集というかなり不規則な職種を選び、以前のような規則正しい生活が全く不可能になりました。当時は、今以上に半端じゃない仕事量だったし、処理能力もまだまだだったので、2、3日徹夜するなんてのは当たり前。徹夜明けにジムで体を洗ってそのまま再出社なんてしょっちゅうでした。夜は定時に帰れないし、ジムは11時まで…となると仕方なく朝、通いに切り替え、30代半ばぐらいまではなんとか仕事とトレーニングを両立させていたんですが、いよいよバディを取りまとめなければいけないという状況になり、人生の最重要項目を仕事に完全に切り替えたんです。
それまでは恋愛とトレーニングが一番二番で、仕事はその後。しかし立場上、希望通りにはいかなくなってしまいました。まあ、仕方ないことです。
いや両立できるでしょうと脇から聞こえてきそうですが、当時、同時に意識の持ち方、集中の仕方により仕事の質が大きく変わることもわかりだしてきた時期でもあったんですね。今、振り返っも、全身全霊で集中しなければ越えられなかった壁は確実にありました。
そうした状況や流れを自分なりに消化し納得していったわけです。
だから、トレーニングを止めたのはごく自然と、生きる環境下で行き着いた結果だったんです。
昔は、かなり枠にはまった生き方をしていたので、イレギュラーなことが苦手だし、好きではありませんでした。今では考えられないことですが…、こう考えると、たかが10年でも、全然違った生き方をしてるんですね。
経験が少ない頃は、自分が変わっていくことが容易に想像できませんでした。前述通り、仕事は土日が休みじゃないと絶対にダメ。健康とよりよい精神維持のため、肉は一切食べないと18~20歳までの2年間は菜食主義を徹底(実践しました/笑)。幼少の頃はかなりの潔癖症のようで、遠足や運動会などの野外での食事はできず(ばい菌が気になって)、寝る前には必ず家族全員の幸せを一人一人神様にお祈りをしなければ寝れなかったという妙な性格でした。
でも、今は全てのこだわりや歪な狭さが嘘のようにはがされています。妙な期待や異常なやっかみも消えて毎日を過ごしています。つきつめれば、全てどうでもいいんです。
人はそう簡単には変われない…とはよく言われますが、そんなことはないと片方の自分は言っているようです。僕もそう思いますが、もう片方の自分はやっぱり根元は簡単に変われないんだよともつぶやいています。それも確かに本当だと思います。
変わるとはその場に止まらないということ。過ぎ去った過去の栄光にすがることもなく、目の前の悲しみに囚われもしない。そして同時に、自分の枠を広げ許容量を増やすということ。塩水をミネラル水で薄める作業なんです。塩は決してなくなりませんが、薄くなることで沢山が生き長らえ、多くを受け入れることができるようになるということなんですね。
ああ、最寄り駅に着いてしまいました。続きはまた…いつか書きます。