Category: コラム
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違うことが当たり前
世の中にはいろんな考え方の人がいて、それが互いに作用してバランスを保ちながら成り立っていると思うんですね。だから、互いに危害を加えない生き方をしているのなら、それはそれでいい、というのが自分の基本的な考え方です。
それに自分はカルマや輪廻転生を信じる、ある部分はとても精神世界的な人間です。いきなりですが、極論をいうと、ゲイとして生まれてきたのはゲイとして学ぶことがあるからなんです。これは全てのパターンにはまります。そう信じています。
もちろん、死後の世界なんてありえない!人間は死んだら終わり、運命や宿命なんて語るのはもってのほか!という考えも、生き方のひとつとして尊重します。他の人がそれらについてどう捉えようがあまり気になりません。
なにが言いたいかというと、100人いれば100人の感じ方、考え方があるわけだから、それにどれが正しくて、どれが間違っているかなんて一元的な決定は、この現世にはないわけだし、互いの存在に適度な距離を持って、それぞれの生き方を尊重していくことが大切なんだと思うんです。
これは生活全般に等しくいえることで、いわゆるゲイ、ビアンの世界も例外ではありません。どこかの世界だけが悲惨だとか、特別だとか、何が悪くて何が正しいなんて、根本的にはないんです。
幾人かの著名人が語っていますが、『本当の平等とは何でしょう?』という問答。それは、『互いが異なる存在だと認め合うこと』だそうです。自分の考えを他人に押しつけるなんてもってのほか。
僕の仲間は僕しかいないと知ることは、少し寂しいよう気もするけど、生き抜く強さにもなると思います。
それに自分はカルマや輪廻転生を信じる、ある部分はとても精神世界的な人間です。いきなりですが、極論をいうと、ゲイとして生まれてきたのはゲイとして学ぶことがあるからなんです。これは全てのパターンにはまります。そう信じています。
もちろん、死後の世界なんてありえない!人間は死んだら終わり、運命や宿命なんて語るのはもってのほか!という考えも、生き方のひとつとして尊重します。他の人がそれらについてどう捉えようがあまり気になりません。
なにが言いたいかというと、100人いれば100人の感じ方、考え方があるわけだから、それにどれが正しくて、どれが間違っているかなんて一元的な決定は、この現世にはないわけだし、互いの存在に適度な距離を持って、それぞれの生き方を尊重していくことが大切なんだと思うんです。
これは生活全般に等しくいえることで、いわゆるゲイ、ビアンの世界も例外ではありません。どこかの世界だけが悲惨だとか、特別だとか、何が悪くて何が正しいなんて、根本的にはないんです。
幾人かの著名人が語っていますが、『本当の平等とは何でしょう?』という問答。それは、『互いが異なる存在だと認め合うこと』だそうです。自分の考えを他人に押しつけるなんてもってのほか。
僕の仲間は僕しかいないと知ることは、少し寂しいよう気もするけど、生き抜く強さにもなると思います。