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寂聴さん「死に支度」
最近は、というか、ここ数年は、何か悩んだり考えたりする時には、必ず仏教をベースに考えるようにしています。
仏教と言っても、いわゆる日本仏教や新興宗教というのではなく、もっと根本的なブッダの教えですね。心の科学といわれるやつです(もちろん幸福の科学でもありません(笑))。
そこにあるのは揺るぎない心のあり方。物事の理。これひとつで、幸せにも不幸にもなる。
ブッタは、わからないものは考えても仕方ないから考えない、とか、とかく陥りやすい、何のために生きてるんだろう?我が人生の目的とは?なんて自分自身を探しまわってしまうものなんだけど、これにも、人生の目的なんてないんだよ、ましてや、自分自身なんてこの世には存在しないと説いてるいんですね。日々、清く正しく生きることが人生そのものなわけです。
日本仏教的に言うなら、自分自分なんて利己的な生き方はやめて、人のために生きなさい、ということでもあるわけで…。そうすれば本当の幸せが得られるって説いてるわけです。
戻りますが、人生には目的はない、種々の悩みは、自分という観念が存在してるから起こる煩悩のなせる技。
さあ、なら、どう生きようか?とまた、なってしまったりするわけです(笑)。
こうなると、あとは、全捨て、リバースしかないような気もしてきたり…。
となるとニルバーナへの道は、まだまだ遠いというお話です。